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2017年12月08日

青春とは?

遥かな青春の彼方に

ふと自分が何故ここに居るのだろうか、と思う時が有る。何故、あそこか、もしくはもっと遠い何処かであってはいけないのか。
それは譬えようも無い不在感の心象風景以外の何物でもなく、ある時は襲い来る目眩の影、又尽きる事の無い落下の心象にも似たその不在感が、虚妄の乱舞に或いは逃れる事の出来ぬニヒリズムの泥沼へと駆り立てる。

その不在感の根源、意味を確かめるにはどうしたらいいのか?人から聞くのではなく、自分の目でそして身体で知らなければならない。
私は、世界を知らない。それ以上に、それら全てを飲み込む、孤独な人間の証である世界を知らない。ある意味、宮澤賢治や、アルチュール・ランボー等の詩で、それらと思しきものを感じる時は有る。
ヘミングウエイや、昔の石原慎太郎の小説でそれらを脳裏に浮かべる事は出来る。
しかし、自分の六感で、その存在を確かめる事は出来ない。

人間の存在を、実存と称した人達が居た。しかし、現に今在る私は、その実存に値する者であるのだろうか?そして、その実存の課題、不条理に答えようとする姿勢を保ち続けているのだろうか?

これまで生きてきたなかで、私は何を知り、理解し、そして私自身に何を残す事が出来たのだろうか。
有るとすれば、漠然とした不安感ぐらいでしか無い。
問いかけても、どうする術もなく戻ってくる不安感は、「全てを捨てて飛んでみろ」と挑発してくるが、捨てるものなどさらさ無い。

宇宙という自然の極致の中で、自分自身の存在証明を如何に果たせるのか?
いつの間にか、死生観を明確にしなければならない青春の果てに来たようだ。

・主な出来事(門 日誌)
・市議会

・交通制作プロポーザル結果答申。延期

・産経新聞新年インタビュー
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