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2020年02月17日

淡路

淡路

出典を、「阿波への道」からきているという意見に嫌悪感を見せた人が居ました。
二人の言い合いを聞きながら、私はどうでも良いのにな、と思っていました。

1995年平成7年1月17日午前5時46分都市直下型の兵庫県南部地震が起こりました。(阪神淡路大震災)。当時、私は兵庫県土木部総務課長。危機管理の直接の部局が無かったことから、風水害対策に慣れていた土木部が前線に立ち、その一員でした。復旧本部会議の最中、要望を受け、時の貝原俊民知事は、「淡路」の二字を入れました。「阪神淡路大震災」。

あれから25年、友人から連絡が有りました。「毎日新聞の見出しは、阪神大震災、淡路が抜けている。何故か?」
後日、友人から報告が有りました。「毎日新聞に確認した。気象庁が決めた兵庫県南部地震では大地震の実感がわかない。被害の大半が阪神間に集中した都市災害という特徴を考え阪神とした。」という事で、死者62名、負傷者1,200名を超える被害を出した淡路島は切り捨てられた。
そういえば、最近、淡路島の朝刊から淡路版は無くなっています。

話は変わりますが、暫く前、淡路地域の意見交換の場で、観光施策について、「但馬から播磨の観光戦略についての記述が有るが、淡路が抜けているのは何故か?」と指摘したが、誰も答える者は居ず、賛同する者も居ませんでした。
淡路地域に在って、本来声を上げなければならない住民が何も語らない。
まるで戦前の言論統制下のような状況でした。以来、私はその会議での本音での意見は言わない事にした。

何れにしても情けない島になっていると思うのは、私だけか?

・主な出来事(門 日誌)
・3月議会議案市長ヒアリング

・津名土地改良区理事会

・岩屋地区市政報告会世話人反省会

・兵庫五か国交流会議総会。猪名川町役場。金村副市長