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2020年11月16日

五木寛之(再掲)

ハードボイルド作家の涙 五木寛之
「北朝鮮からの引揚体験を共有していた、ハードボイルド作家。暴力的なイメージと、家出した父親を捜す子供の涙を見せる作家。人にはさまざまな側面がある。見た目に映っているのはその一面だけだ」(抜粋)
透徹した作家の目に由らないまでも、人そのものが抱えている煩悩は、病気ではなく体質。前者は治る可能性が有るが、後者は治らない。
であるとしたら、自分自身が自分のそれなりの努力により、解決しなければならない。
人はその人が持つDNAで、凡その寿命が決まっていると専門家は言っている。その解決の糸口が、「気力」という説明のし難い存在である。

想定の範囲外の力量を発揮する事実を、人は、宗教等と表現し利用してきた。
それは、死後の無が永遠に続くという説明のし難い感情の恐怖に対する「気力」であった。
そう理解することで現実を逃避することが出来るからである。

人生においても同様な事が散見される。
人は一人で生きているようでそうではない側面を持つ。
例え絶海の離島においても、人は一人にはなり得ない。その人がどう思おうとも、錯覚の延長線上でしかない。

五木寛之が語ったハードボイルド作家のストーリー。父と二人で北朝鮮から引き揚げてきて世俗の中で有名になった息子に、「もう俺は必要がないな」と言い残し家出、必死になって探した父親は、「バッグ一つ抱えて私鉄の夜の待合室にポツンと座っていた」
作家は、「一緒に引き揚げてきた仲間じゃないか。父さんは僕にとって絶対に必要な人間なんだ」と肩を抱えて涙をながしたという。
同世代の暴力的な作家の二面性に、五木寛之は感動したのではないのだろうか。

何れにしても、平凡な生活の空間にも、同様な事が見られる。
これまで生きてこられた幸運に感謝をして、今一度、自活する覚悟を決めるのも一つの選択肢ではないだろうか?

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