2026年02月04日
立春
冬の寒さがピークを過ぎ、春の兆しが現れ始めるころ。
第51回衆議院選挙期日前投票に行きました。
何をするかを語らねばならない選挙。
相変わらず、相手の文句を言うだけの候補者もいます。
結局、自分達だけの事を考えているからでしょう。
残念です。
2026年02月03日
節分
晴。季節は巡る。

長渕剛の「乾杯」を聴いていたら、原哲明県会議員さんと、秘書の井上雅俊さんが来宅されました。
乾杯、今君は人生の~道のりを歩き始めた。
君に幸せあれ!
2026年02月02日
越冬千鳥
淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に いく夜寝覚めぬ 須磨の関守 源兼昌(12世紀初頭)

淡路市志筑宝珠川清水辺。
千鳥は本来、渡り鳥、しかし中には越冬するものがいます。
今時分いるものは、越冬千鳥。
川を跨ぐ電線に並んでいました。
子供の頃遊んだ川に面影は無く、見知らぬ人が通り過ぎるだけ。
それも故郷。
2026年02月01日
20年の奇跡
新生淡路市20年の奇跡
旧津名郡5町、津名、一宮、北淡、東浦、淡路の町長さん等から依頼を受け、新生淡路市の市長選挙に出るのを決めたのは、淡路県民局長から県の代表監査委員に就任した翌年、任期途中。
合併の難しさは、洲本市と緑町、三原郡3町と緑町、洲本市と津名町、五色町、一宮町、北淡路3町を経て津名郡5町、そして洲本市と五色町、の合併協議会に役目として全て参加した私は実感していました。
最後に背中を押したのは、「半分、他所もんのおまはんしか居らんや。頼むは。」という故新阜京一東浦町長さんの言葉でした。
選挙は、地縁血縁が少なく、地盤も無い素人集団。多くの人にお世話になりましたが、その核は全島の同級生達でした。
第1回目の決起集会は、しづかホール。後にも先にもしづかホールが施設外にまで聴衆で溢れたのはその時だけでした。メインの弁士は、故貝原俊民兵庫県知事。参加者は全県から、但馬からも参加されていました。
結果は、初代市長。当選の知らせが入り、万歳を終えた時、市の職員の方が翌日の日程の相談に来られた時は深夜。
それから、私は志筑の自宅、家族は神戸という別居生活と、365日休み無しの生活が始まりました。
市政の基本方針は、5町合併という特殊性を考慮して、①集約のメリットを活かし質の向上を目指す」②持続可能な財政運営と市政全般の適正化③地域の融合融和を図り、一体感の醸成を目指す。それらのスローガンは、「いつかきっと帰りたくなる街づくり」
合併当初は、想定の範囲内でしたが、財政は破綻状態。阪神淡路大震災の復興事業。平成16年台風23号の復旧事業。下水道等インフラ整備事業等の財政負担が膨らんでいました。
そのままでは、市民住民の安全安心な生活の確保を目的とした合併が、無駄になってしまいます。
一定の市行政の財政確保を図るため、当別職を含めた職員の給与カットを複数回、職員定数の削減、小学校等施設の見直しなど身を切る施策を断行しながら、230を超える町内会と情報を共有し相互連携をすることで、各種施策のソフトランデイングを推進しました。
一方、市外から38社を企業誘致し、雇用効果は3500人を超えました。ふるさと納税は、チーム淡路市を合言葉に、累計100億円を突破、市民生活に有益な事業展開をしました。
全国に先駆け小中学校に導入した「タブレット教育」島内唯一の定期航路、まりんあわじ号を造船し、岩屋明石航路を存続。市内全域と県立医療センターへの交通弱者対策として、生活観光バス、淡路市コミュニテイーバス整備等に活用し、津名高校百周年にも活用しました。
又、その評価は数字にも表れています。
①淡路島観光入込数は約1300万人。その約7割が淡路市域内に滞留②GWに行きたい観光地ランキング1位③ツーリング目的地検索数1位④二拠点生活希望県内1位⑤ふるさと納税寄付件数県内1位。全国32位⑥タブレット活用教育全国小学校2位中学校5位⑦個人所得伸び率関西圏1位等。それらの集約として⑧市区町村魅力度ランキング全国59位と躍進。
令和7年は、淡路市政発足20周年、「淡路市の躍進を止めない」をスローガンに、大阪関西万博に参画しながら、南海トラフ対策の備え、失われたコロナ禍の4年を取り戻し、制度上の第二の財政危機を回避して、平成生まれの世代に託していく年になります。
現場行政は、市民住民と直接に連携して生活しています。
改めて、「現場行政は正義でなければならない」を胸に刻みながら、淡路市の現況等の報告とさせていただきます。
(令和7.7.10津名高同窓会阪神支部報寄稿)