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2026年09月29日

志筑

淡路島の人口は、敗戦時から見ると、半分程になっています。
言われる所の、少子高齢化。
しかし、江戸時代から見ると、10倍程か?

1市10町の前、津名、三原の2郡の時の核の町は、福良、由良、洲本、志筑、岩屋地域。
その志筑が揺らいでいます。

連上の問屋街を中心に淡路島の核として存在していた市街地。
カネボー進出を、その問屋街が反対、カネボーは洲本に進出した。

そして、特許を持っているから堅調と言われていた日本測定、大阪からも活用されていた井村印刷、各種の旅館等が、消えると、雇用が無くなり、賑わいも消えた。

街並みは、バブル期の埋め立て事業で、漁業権を放棄、白砂清松の景観を無くして、埋め立て地に分裂。本四道路が津名一宮インターまでの時には賑わいを見せた。

最近では、島内外から活用されたONOKOROが消えかけ、日本測定跡地のセントラルパークの二の舞になりつつあります。

それは、沖縄に似た、島外者中心の反対運動、関西国際空港建設反対の結果、四国新幹線構想は夢と消え、明石海峡大橋は鉄軌道併用橋から吊り橋となり、船便は岩屋、沼島を残して無くなり、何千人という船員等の雇用の場、船着き場等、生活の拠点が消えた事と、同じです。

幸いに、企業誘致の堅調さから見た目は良いが、雇用の人材不足などの課題に直面しています。
志筑で育った人材が、殆ど帰島しない現実の解決を図らない限り、その傾向は続きます。

犯した過ちを反省し、検証し、総括しなければなりません。
今こそ、無責任な理論先行から現場主導の行動が求められています。