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2020年03月31日

2020.3.31

令和元年度最終日。
皆さんご苦労様でした。明日から令和2年度です。社会生活のシステムを維持しながらコロナウイルスに勝ちましょう!

・主な出来事(門 日誌)
・面談
 ・近畿財務局神戸財務事務所

 ・ムネ製薬。従業員80人の淡路市の優良企業です。
  兵庫オンリーワン企業認定報告。おめでとうございました。
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・退職者等辞令交付。茶話会。
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淡路市と15年(2005年平成17年5月8日~)2020R2.3.31.(火)15時~
退職者への挨拶要旨。「キーワード・阪神淡路大震災・合併・コロナウイルスパンデミック」
(合併時の職員の言葉)
 あの時は、魔の5年間でした。仕事の見直し、給与カット、職員の削減など行財政改革は避けて通れない状況でした。
 そして、時の市長はまさにカミソリでした。67人の市議会議員と対峙する姿はまさに「きれきれ」でした。
 「しかしあれがあったからこそ、今の淡路市が在ります。市長、体に気を付けて頑張って下さい。」その人の目に薄っすらと涙が滲んでいました。
 「ありがとう。」としか言葉を返せませんでした。

 1995年平成7年1月吉日。兵庫県災害対策本部会議で、時の知事、貝原俊民知事は、「君達は戦友だ。共に戦ってくれ。」と言われた時にダブります。
 その延長線上に、「これを奇貨として淡路島夢舞台プロジェクトは凍結しない。」という言葉に繋がり、そして今、その淡路市夢舞台は、市の命運を握る舞台の一つになっています。
 阪神淡路大震災から25年、淡路市誕生から15年。歴史は不思議な繋がりを見せていま
す。
                                           2014年11月不慮の事故死から5年、ご存命であれば、今の淡路市をどう評価してく
ださるでしょうか?
 故郷、5町合併の淡路市の初代市長選挙に出ることを決め、㈶ひょうご震災記念21世紀研究機構の貝原理事長を訪ねた時、「門ちゃんは財政のプロだろう。なんでそんなところ(淡路市)へ行くんだね。」と柔和な笑顔で言われました。
「故郷に帰ります」と答え、「そうか苦労するぞ。」と言われて今があります。

そして皆さん方です。
一体感醸成のために実行した全職員面談は諸刃の剣でした。しかし、皆さん方もそして私自身もそれなりに耐えました。
皆さん方が残された淡路市への功績は消える事は有りません。それを糧に夫々が夫々の舞台で新たな人生の楽しみを見つけて下さい。

最後に、重ねて市を代表し、公務に尽くされたお礼を申し上げますと共に、ご健勝にての更なるご活躍、そして後輩達へのご支援をお願いして、お別れ、お礼の言葉とさせていただきます。
本当にご苦労様でした。有難うございました。