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2025年05月27日

淡路市とは

淡路市とは

2025年令和7年は、淡路市合併から20年、大阪関西万博そして淡路島博が開催され、阪神淡路大震災から30年、昭和100年の多くの節目に当たりました。

そんな中で、現職有利という伝説を破った選挙にしてしまいました。
しかし、これまで分析していましたように、想定の範囲内でした。

そこまでやるかと言われた、開かれた市政。
これまでとは違った視線、目線、現場行政として市民住民とチームとしてやってきました。

ただ、やはり地域性の矛盾は断ちがたく、全体よりも個人の利得が優先されました。
何よりも、津名地域が特に志筑地区が瓦解したのが致命的でした。

そうした矛盾を実感していた故柏木町長さんは、「津名を割ってはいけない」と警鐘を鳴らし続けておられたのでしょう。

故新阜町長さんは、昭和の合併期の経験を踏まえ、新市の庁舎位置を早い時期から、津名の埋め立て地を提唱されました。

そうした経緯の中、一人故郷の埠頭に立ち、多くの同級生や支援者に支えられて20年、最後は、ロックスターの引退かといわれる退任式をいただきました。

過ぎたるお礼の言葉も多くいただきました。結果として、ご迷惑をかけた方々に陳謝をするとともに、多くの方々に深く感謝を申し上げます。

多選が駄目だと言うならば、これからは元の一匹オオカミに戻ります。
そして、高齢が課題と言うならば、再度の鍛錬に入ります。

これで、令和7年淡路市長選挙総括 第1部とさせていただきます。