2025年06月13日
惜別の唄
惜別の唄
島の不思議な物語 外伝 「山名副市長に捧ぐ」
合併過渡期の淡路市を背負ってきた戦友が又一人、市役所を去りました。
旧北淡町出身、山名実淡路市副市長。
任期を残しての退任は、新体制を考慮しての事と有りました。県政にパイプを持って居られた人脈の喪失は残念です。いずれにしても今後とものご健勝にてのご活躍を祈念しています。重ねてご苦労様でした。有難うございました。
さて、ネットで市議会を見ていましたが、気になることが有りましたので、言及します。市長の給与カットの議案でした。
淡路市議会は、定数18名、欠員2名、給与カット議案賛成が8人で可決でした。
田中議員の反対討論は、理路整然と立派でした。
鎌塚議員の賛成討論の中で、「公約実現」との言及が有りましたが、それだと二重の間違いを犯したことになります。
既述しましたように、淡路JCの公開討論、告示前で選挙の事は言わない約束を破り、コーデイネーターもグルになって発言した、給与半減発言、公約ならば、それでアウト。又、理由が公約を守るためならば理由にならない。それであれば、なりたいので言った、どこかの市の補助金ばら撒きと同じ事になります。
又、私が言った、「第二の財政危機」の意味を勘違いしています。
それであれば、パホーマンス的な施策は無意味です。
何れにしても、議決賛成が過半数を超えたのは、噂の市議会根回しが効いたのか。それであれば議会の見識が問われます。8人の真意を聞いてみたいところです。
余談ですが、本会議最後の挨拶、議会も執行部も、最後に「報道機関にも感謝を申し上げます」と挨拶していますが、淡路市第1回の市議会閉会の挨拶、その言葉は、市長の議禄にしか有りません。以降は二元代表制で同じ表現となっています。
2025年06月12日
墓
墓
島の不思議な物語 外伝 「墓」
最近は決まった墓地、墓を持たない人が増えているとか?
しかし、多いのも考えものです。維持費用も大変です。
私の妻の関係では、土佐、門司、そして唐津に有ります。
門家は、遠田と志筑八幡寺と神戸。
遠田と書いたのは、お寺は正福寺ですが、旧一宮は捨て墓以外、自分の土地に墓を整備しています。長瀬市議会議員と同じ土地に今でも有ります。
遠田の墓から向かい側の山に捨て墓があり、父はそこで眠っています。
父親は私が一歳の時に亡くなりましたが、家族を連れて志筑に移住、今の門下市塾です。
お墓が無かったので、姉に頼まれ、両親と私のお墓を、友人のお世話で志筑八幡寺にすることが出来ました。最近は、毎朝、お参りしています。
いずれにしても、お寺さんのお付き合いだけでも大変です。高知県、山口県、佐賀県そして兵庫県、県だけでも4県にまたがります。
唐津の墓地にお参りした時、隣接している火葬場、葬祭場、ホテルのような景観等に興味を持ちました。今の淡路市火葬場も参考にさせてもらいました。
最近、私がお墓を遠田から志筑に移したと言っている人が居るようですが、嘘です。
嘘を言う理由が不明ですが、ここで事実を伝えておきます。
余談ですが、ここ二十年間で、淡路市で土葬されたのが2件有りました。
用地から埋葬まで厳しい規制が有りますから大変です。
それと未利用地利用の一環として、ユダヤ系の墓地の計画が持ち込まれましたが、土葬と聞いて、地元の了解が得られず、計画は流れました。
さて、私は、平家落人の里、祖谷有瀬の陰陽師の末裔。
秘境、剣山にでも散骨してもらおうかと思っています。
2025年06月11日
しづかホール
しづかホール
島の不思議な物語 外伝 「しづかホール」
旧津名町から引き継いだ淡路市立の音楽ホール(劇場、歌劇場)。
島内では802人収容のトップクラスの規模。
静御前が志筑の海岸に流れ着いたという伝説から、その名を冠し、外見は扇。
立ち見を入れても千名が限度という施設が一度だけ人で溢れた事が有ります。
2005年平成17年3月6日。新生淡路市の明日を語る講演会。弁士は、前兵庫県知事貝原俊民氏と前兵庫県代表監査委員門康彦。
5町合併の市長選挙を盛り上げるために計画されたイベントのメイン弁士を誰にするか話し合っていた時、貝原氏の名前が挙がり、私がお願いに行くことになりました。
県立人と自然の博物館の理事長をされていた貝原氏を訪ねてお願いをしました。開口一番、「門ちゃん君は財政課出身だろう。なんでそんなとこに行くのかね。県に残ったら」といわれました。
生来の天邪鬼、「故郷に帰ります」と答えてそのイベントが開催されました。
しかし、ホールは人で溢れたものの、全県から集まった方々で、有権者の数はいかばかりであったか?
その時の記念写真が出てきました。
20年前の写真、多くの鬼籍に入った方々の笑顔が有りました。
私の隣に、支援者の一人であった、津名高校の恩師、故植松先生の姿もありました。
全島から同級生等を集めてくれた竹馬の友の姿も有りました。
信義熱き世代の晴れ舞台の記念写真。
何故今出てきたのか?
歴史の不可思議さに、思いは揺れます。
2025年06月08日
AIE国際高校サッカー部
インター杯予選の県高校総体、AIEは、滝川第二高校に、決勝で敗れました。
3*3で延長引き分け、PK戦5*4で散りました。
前も同じような流れでした。
捲土重来!
しかし、よくぞここまで成長したものです。
選手諸君は勿論、関係者の皆様に敬意と感謝を申し上げます。
2025年06月07日
本屋さん
久しぶりに本屋さんに行きました。
とにかく人が少ない。
最近は本を読まない傾向だと言われています。
ネットを眺めるのが多いとか?
結果、思考能力が薄い傾向があるという事です。
しかし、それで充分とも言われます。
旧聞に属しますが、「若者は選挙に行かずに寝ていてくれ」と発言して顰蹙をかった政治家がいました。
自分にとって不都合な事は、悪なのでしょう。
行政もそうです。
自分達にとって不都合な事は認めない。負の連鎖が有ります。
何れにしろ、本当に数少なかった見ず知らずのお客さんの一人から、「門さんですよね、長い間ご苦労様でした」と声をかけられました。正直うれしかったです。
歩こう会
決起集会
T92.655
A78.263
H84.575
I85.149
M83.821
K89.187
2025年06月06日
根回し
根回し
島の不思議な物語 外伝 「根回し」
兵庫県知事の騒動をめぐり、この言葉もキーワードの一つになりました。
しかし、根回しはあくまでも根回し、それが目的であってはいけません。
平成14年1月24日、淡路創造大学公開講座で時の県民局長として、淡路地域ビジョンの推進と題して講演を行いました。
その中で行政についても触れています。現場行政はまず全体の福祉が優先される。個人の利得は順位が低い。その結果逆恨みをされることも有ります。
そうした、不条理、不合理の無駄を避けるために根回しを行います。
無駄な時間を費やさないために事前に説明するのです。
ただしそういう手法を取らないで、本会議でいきなり議論等で決めていくことも有ります。かつてある市において、その手法を取ったために、会議が深夜に及び困ったそうです。
淡路市ではこれまで、二元代表制を貴び、丁寧な説明をして、根回し等は一度も採用しませんでした。
その為に、当然分かっているであろうという事で、会話が長引き、無駄な時間を費やしたこともありました。所謂、接遇の不一致ですね。
さて講座は、淡路地域づくり研修会を兼ねていましたので、副題を、「人と自然の豊かな調和をめざして」としました。
当然、課題の一つは市町村合併。まさか私自身が時の市長として直接それにかかわるとは思っていませんでした。
しかし、その事が現実の事として動き始めた時、根回しとして、故貝原俊民知事さんと県議会議員の方々に根回しをしました。
あれから、二十数年が経ちました。
故郷の雨6
「すみ孫」さんでご覧になれます。7は準備中です。
島の不思議な物語は、影響が1の時のようになる可能性が有りますので、限定版とさせていただきます。
2025年06月05日
日陰の女
慰労会
T 94.390
H 85.505
A 81.862
I 85.429
M 85.731
Y 73.323
K 87.322
立札看板
立札看板
島の不思議な物語 外伝 「立札看板」
政治活動事務所用立札看板は、公職選挙法により、規制されています。選挙管理委員会に申し出て証票を受け取り、塗付して連絡のつく所に立てなければなりません。
人気のない野原であるとか、連絡のつかない人家などに立ててあるのはアウトです。
その枚数も規制されています。団体6、個人6です。
私の場合も、後援会の門友会が6、門康彦個人が6でした。
看板設置の時に、土地建物の所有者に承諾を得て立てました。
看板が有ることで、その人の支援者という見方も有るので難しい場合も有ります。
その家の人が了解しても、親戚関係に異論がある場合が有ります。
ただ、誰しも看板は目立つ所に立てたいので、複数の看板が立つ場合が有ります。
必ずしも駄目だという分けでは有りませんが、趣旨から言っておかしなものがあります。
事務所用の立て看板ですから、全く意見の違う人が同じ所に立てるはずが有りません。
私の場合も、あるところにお願いをして立てましたが、迷惑をかける結果になりました。
それまで何も無かったフェンスに、私の看板が立ったため、他の人のものも殺到しました。
商売をしている方だと断れなかったのでしょう。
公職選挙法は難しい反面、実態と合わないものも散見されます。
当該者の理性に頼る部分が有るからでしょう。
それぐらいの自由は良いのではないかという意見も有ります。
しかし景観上から見ると如何なものかというものも散見されます。
たかが看板、されど看板です。
2025年06月04日
故郷の街
故郷の街 クリスマスの夜に 2021.R3.12.25
人気無き廃屋の片隅
仄かな灯りの
公衆電話ボックスが
静かに佇んでいる
早朝の暗闇の中
駆け抜ける青年の背の向こうに
微かに陽の兆しが
漂っている
老人の過去と
青年の未来が
錯綜する街
無理と知りながら
今一度の別れの乱舞を
夢見る街
2025年06月03日
交流人口
交流人口
島の不思議な物語 外伝 「交流人口」
2期目の公約は、「淡路市が通り道にならないよう交流人口を増やす」でした。
現場行政は、現実的な施策の展開が重要です。
人口減少は確かに色んな課題を生みます。淡路島が最高であったのが、昭和21~23年ごろ、22~23万人。今が12~13万人ですからそれから比べると確かに減少しています。
しかし、江戸時代はどうであったか。約7~9千人と言われていますから、それから比べると随分増えています。現場行政は人口見合いの行政サービスを実行する機関です。
人口を増やすためには女性の出産が必要です。出産は、女性にとって大変な負担になります。母性がそのことを救ってくれてはいますが、ある意味、命を懸けた作業です。
少子化対策とか言う言葉で色々と言われていますが事はそう簡単ではありません。
男性と女性の出会いがあり、社会的な制約の中で子供が誕生します。
しかし、時代は核家族時代。若い世代が自分達だけで子供を育てるのには厳しい環境です。
かつては家族で担っていた部分が、権利として、行政に求められています。
これまで、お願いしている部分であったのが、当然の権利として要求されます。
社会全体で支える仕組みへと変容していますが、税金の使途ですから異論もあります。
淡路市は、企業誘致は当然として、観光をキーワードに、一工夫した、交流人口の増加、また、社会増減の人口増加を目指しました。
結果、2020年令和2年から社会増減人口は増に転じ、淡路島への観光客入込数13百万人の内約72%の方々が流入されている結果に繋がりました。
令和6年市区町村魅力度ランキングでは、全国で59位と評価され、県内では、神戸市、姫路についで3位と評価に繋がっています。
言われる所の躍進淡路市です。洲本市の学者、福谷学先生が言われた、「淡路島の今後は新生淡路市の双肩にかかっている」の言葉に答え、躍進を止めてはなりません。
2025年06月01日
行財政改革
行財政改革
島の不思議な物語 外伝 「行財政改革」
一般的に行革は、いい意味で使われますが、現場行政ではそう単純ではありません。
淡路市が合併当初、職員が行ったトイレ清掃、マスコミ等で美談的にとり上げられました。
しかし、それまではシルバー人材センターでお世話になっており、結果、シルバーの収入が減りました。物事には表裏有り、川の流れは両岸から見なければなりません。
淡路市は財政破綻回避のために、まず、職員の減員、賃金カットにとりかかなければなりませんでした。人件費と一般財源がほぼ同じでは、行政サービスは不可能でした。
原因は5町合併の市で、隣接市と比較しても突出していました。そのために、市長職の給与カットを断行しましたが、審議会の委員の中には反対の方も居られました。
市役所のトップとしての対面です。しかし、当時は今のように賃金のアップが出来る状態ではありませんでした。「まず隗より始めよ」でした。
合併時の基準額からすると、約40%、審議会の見直しを経ても15%のカットで退任時まで継続しました。ボーナス等への影響を含めるとカットは更に増えます。
それを起点として禁じての賃金カットを職員に辛抱してもらい、行政サービスを確保しました。これらの事は一般市民にはよく伝わっていません。
よく冗談に、市長は給料多いからと言われましたが、あれはマスコミ等が市長への給与いくら支給と報道しますが、あれは所謂支給額で税金を引かれた手取りは7割程度です。
365日、24時間の拘束からみた対価としてはどうか?
それを支えているのが公務に対する責任感です。
ただ、公共の正義の執行は全体の正義であり、個々人のものとは相反する時が有ります。
その時に逆恨みがおきます。政府の要人に多くのSPがつく意味です。
何処で恨みをかっているか分かりません。現場行政もそうです。正義の断行には、それなりの覚悟が要ります。力なき正義は無に等しい。それに耐える倫理観が必要です。
学校統廃合
学校統廃合
島の不思議な物語 外伝 「学校統廃合」
既述しましたが、詳細を述べないと分からないという意見が有りましたので報告します。
下品なビラに対する説明では有りません。
淡路市には、公私の保育園、小学校、中学校、県立の高等学校、誘致したAIE国際高等学校
旧津名町が誘致した看護系の専門学校、大学と多種多様な教育施設が有ります。
ただ特に5町あった関係で小学校が多数あり、統廃合が課題でした。
教育施設については、夫々が意見を持っており、簡単には合意形成が出来ませんでした。
少人数学級の方が良いという意見の方は、統廃合に反対でした。
しかし、父兄の方の多くは、「限度ものですよ」と適正な競い合いを求めていました。
教育委員会が基本方針を作成し、父兄、そして地元の方々と意見交換をして、夫々の学校の今後の利活用も含めて結論を出し、整理をしていきました。
財政破綻をしていれば、一気に統廃合しなければならなかったのですが、何とか持ちこたえたので、統廃合も時間をかけて丁寧にできました。
学校施設は子供たちのために有るべきで、その他の要素は別の工夫で解決しなければなりません。当然、跡地利用も同時に進行させなければうまくいきません。
そう言った視点で、淡路市バス、岩屋明石航路の船の確保もしました。
そして議論は有りましたが、通学バスも整備しました。
しかし、子供達の多くは市外の学校へ通学しています。
そうした実態に合った教育施設の今後を考えなければなりません。
今、注目を浴びている、AIE国際高等学校のサッカー部、そして女子野球の運営等にヒントが有ります。
地元優先の固定観念にとらわれず、柔軟な思考方法が求められています。