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2025年08月31日

タコ煎餅の里

淡路市全体賑わいをみせていますが、特に人が集客しているのが、淡路サービスエリア下りと、タコ煎餅の里です。

今日も日曜日とは言え早朝、多くの人で賑わってました。
その多くが、島外市外の方々です。

地の利と工夫が、合併前から受け継がれ今になりました。
これからも、更なる躍進が期待できます。
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島全体の盛り上げが必要です。

2025年08月29日

刻を説く

阪神淡路大震災記念協会元理事長故貝原俊民氏。
「住民と議会と首長」に、「議会は少数意見が反映された構成になる。しかし、社会構造の変化に伴い、住民意識と乖離する事態となりつつある。住民代表としての議会という間接民主主義の根拠が薄れる事になるーーー」と警鐘を鳴らされていました。

先の参議院選挙で、泉房穂前タレント、明石市長さんが、淡路島においても多数の票を得ました。
知らないことを責めても仕方無いのですが、残念な事です。

淡路市議会も、21人が立候補。定数18人。
投票率も前回より上がり(62,25→65,55%)、5地域夫々から選ばれ、期待できます。
貝原さんの警鐘に、如何に答え、二元代表制の本旨を大事にしてもらいたいです。
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実り

時うつり 人変われども 蘇る

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酷暑に耐え、実りの秋に!素晴らしい作品です!

2025年08月28日

風鈴

預かりし風鈴 チリンと鳴り 夏が行く

今年もまた、同じ場所に、蝮の屍骸と蠢く蟻。夏の終わりを感じます。
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生あるものの定め。やんぬるかな!

9月、秋は災害の季節でもあります。
行政の災害対応は、大きく分かれます。国県の理論先行と市町村の現場対応です。
現場は、市民住民に直結するため、24時間臨戦態勢に有ります。それ故、初動対応、直近動員の徹底が重要です。
淡路市の場合は、関係部局への派遣、そして何よりも、県から理事を派遣してもらい、組織の強化と、自衛隊、国、県との連携を、合併当初から図ってきました。

現場市町村の仕事は人で決まります。しかも、開かれた体制が重要です。

2025年08月27日

震災復興区画整理事業

富島地区(淡路市旧北淡町)の事業完了は、2009年平成21年でした。
阪神淡路大震災は、1995年平成17年1月17日未明、それから、14年ほどたってからでした。

面積、20.9HA 地権者780名。
事業の決定は、時の知事、故貝原俊民知事でした。「震災復興に土地区画整理j業の手法は見合わない」という所謂、学者等の意見に、「現場の実態に合わせ、早期の復旧復興が必要」と英断されました。

それでも、完了は、淡路市になって5年も経過していました。
地権者の一部に意見が有って、移転交渉が進まず、直接施行に踏み切りました。
そうした状況を予見されて、貝原知事は敢えて区画整理事業を選択されたのでしょう。

今は、幹線道路は整備され、家が立ち並び、公園も多い住みやすい環境の中、北淡事務所が中心にあり、総事業費、約237億円の公費は活かされました。

次は、現場に合った、地域経営の導入です。

2025年08月26日

西海岸

20年ほど前、淡路市議会で提案して、今は普通に言われています。
「淡路島は昔から西浦といってきた。伝統を消すな」
と言う意見も有りました。
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自動車のナビには、淡路島の国道28号線、四国街道と表記されています。四国側には、淡路街道と表記されています。拘るのは筋違いと思います。

住民基本台帳

2017年平成29年3月1日
淡路市の人口が、洲本市を抜いた日です。

その時の淡路市議会で、「選挙人名簿登録数でみると、若年層は淡路市の方が少ない。昼間人口比率も100%を超えるのは洲本市のみ。一面だけをとらえず、多角的に検証し対策を練らねばならない。」
と時の市長が答弁しています。

何れにしろ着実に差は広がっており、南あわじ市とどうなるかが楽しみです。
これからは、空き家の一部に民宿が活用されており、工夫によってはさらに伸びるでしょう。

2025年08月25日

国境なき医師団日本

人種、政治、経済、宗教等に関わらず、命の危機にある人々へ公平に、医療、人道援助を提供する民間非営利の国際的な医療人道援助団体。
小さな寄付に丁寧な感謝状をいただき恐縮しています。
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免許証なき医師団(団員一人)の団長としては、これをかてに、健康で長生きを目指していきます。
今のところ、肝機能、中性脂肪、コレストロール等良好です。

課題は血管系と腰痛。これは経年劣化でどうしようもない所も有りますが、歩行、水泳、筋トレ等により、何とか維持できるようです。

何とか酷暑を乗り越えましょう!

2025年08月23日

鬼百合

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携帯で調べると、オニユリと出てきましたが、説明を見ていると、ヤマユリ?
どちらにしても、坪庭に悠然と咲いています。

2025年08月22日

電気自動車

2018年平成30年2月
国家政策に賛同し、購入。
家にも充電設備を、当時の補助金で設置。快適に使用してきました。

最近、少し遠出することがあり、電気容量が微妙だったので、ナビで充電箇所を探し、充電しようとしましたが、何処も不調。
最後に、自動車会社の本社まで行きましたが、不調。

これでは、東京へ行くことは不可能。
言われているように、ガソリン関係の利権繋がり。本気で地球温暖化対策としての電気自動車普及は、夢のまた夢か?

セカンドカーとして、活用するのが精一杯か?
ゴルフ場に充電設備がある情報で行っても、帰りが?ではどうにもなりません。
一工夫。レッカー車が有りました!

2025年08月19日

腰部脊柱管狭窄症

発症したのは、2010年平成22年、ブラジルパラナ州友好提携40周年事業に参加する前でした。
まるで拷問のような痛み。殴打された痛みは時間が解決してくれますが、所謂、座骨神経痛の痛み、24時間、傷みっぱなし。
手術は避け、パルシェの電気風呂も含めて、ありとあらゆる治療をしましたが、個人的見解の診断は、運動と大和魂。

そんな馬鹿なと笑われましたが、最近、当たらずとも遠からずであったことが分かりました。
総合南東北病院 見解要約。
「慢性腰痛治療で重要なのは運動。安静は心がけとしては良いが、動いた方が良い。
 又、慢性的な痛みの心理社会的要因は単純ではない。
 認知行動療法は痛みをどの程度まで許容できるか認識するのがポイント。
 好きな事をすれば痛みが改善するとの報告があります。諦めず、好きな事を実践しましょう。」

要は、定番の薬物は当たり前、それに、運動と認知行動をプラスすることだそうです。

運動と大和魂で頑張ります!
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2025年08月18日

淡交会

古希数え 歩みし歴史の 縁に酔う

平成26年6月29日、淡路夢舞台国際会議場に、裏千家の千玄室大宗匠をお迎えし、茶道文化講演会が開催された時、時の市長そして、副支部長として歓迎の挨拶をした時の一句です。

故貝原俊民知事さんが思いを込めて作られた会場は人が溢れ、志筑を中心にした、淡路島の茶人の心が、溢れていました。

その十五代家元が、迎え火の日に、旅立たれました。
海軍航空隊の経験のある方で、そのことが人生の一つの幹として、「一盌からピースフルネスを」を、ライフワークとされていました。
合掌。
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詳細は、拙著、「故郷の雨」5、139頁~をご参照下さい。

2025年08月17日

送り火

子供の頃、お盆を過ぎると海で泳いではいけない、と言われました。
理由は色々と有ったと思いますが、お盆に飾った品々を海に流し、魂が引かれていくと言われてました。

その送り火の日、今の淡路島の興隆を創った一人の先輩、叡智が去りました。
「淡路島一市」の熱心な指導者の一人でした。残念です。

今はただ、魂の安らかならんことをお祈りするばかりです。
合掌。2025年令和7年16日。
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30年近く前、一緒に神戸ルミナリエを見に行った事が有りますーーー。

2025年08月14日

八月になると

終戦の日
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第二次世界大戦、日本では、1945年昭和20年8月15日、天皇陛下終戦の詔書朗読をもってその日とされています。
しかし、諸外国では日本が降伏をしたのはポツダム宣言受諾の8月14日。終戦の日は、日本が降伏文書に調印した9月2日としています。
原爆投下は広島が8月6日、長崎が9日、ソ連が日ソ中立不可侵条約を破棄して対日参戦して侵攻したのが9日。

敗戦後80年、今でも、彼の国では原爆投下で日本全体は救われた。子供の頃、教わっていたソ連の卑怯な振る舞いは、ソ連にとっては当然の戦争行為。奪った領土は返さない。
といった事々は時系列的には辻褄はあっています。
大東亜戦争によってアジア地域の独立は成し遂げられたする一部の意見も有ります。
それらが個々の事実で有ったとしても、愚かな人類の行為です。

最近、近辺で起こる不可解な言動、変化、そしてこれまで地域貢献してきた存在の消滅。
そして、地域の県政を担っていただいていた、原哲明県会議員さんから、約二年後の県議選には出ない、の書簡をいただきました。
六回市長選挙をしましたが、一期目唯一、対抗軸のあった選挙で、私が市政、原先生が県政を担われました。
あれから約20年、既に永田姓が去り、今回原姓も去るのでしょうか。

唯心論から見れば、いずれ全ては消滅する。世界も宇宙も同じであるとすればそれらの事象は仕方ない事ですが、やはり寂しい感は拭えません。

アメリカ、ネイテイブインディアンの戦士は、自らの体力の衰えを知った時、一人、聖なる山に消えて行ったといわれます。
天狼も又然り。
凡そ百年の時間空間をどう生きて死ぬか、「門、先に逝って待ってるから」と言われた先輩の笑顔が懐かしい。


2025年08月11日

縁セカンド

「ウクライナ戦争と外交」松田邦紀著 時事通信社 
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2011年平成23年 セントメリース市と25周年の記念式典に参加するため渡米。
団長:門康彦 副団長:蓮池久志議長 団員:江川隆子関西看護医療大学学長楠日出子楠歯科医院理事
    福島幸NPO:AGN代表 中田義成淡路カントリーガーデン園長 人形寺祥弘仁井地域交流広場代表
    魚住とよ子魚住水産代表 山田一夫国際交流課長

時は、東日本大震災直下。日本から来る人は少なく、デトロイト総領事の松田さんに、歓迎を受けました。
お礼に、私がピアノを演奏、領事館に渡米してきた日本人で初めてのピアノ披露でした。
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あれから15年近く、ウクライナで活躍されていた松田大使と再会しましたが、淡路市でのお礼の会は果たせていません。

感謝!

埠頭の旅立ちから、チームの別れ。
感謝しか有りません>
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2025年08月10日

独楽

中国伝来の玩具として親しまれてきました。
物事が順調に回り続ける縁起物として扱われています。

その「こま」という、志筑で親しまれてきたお店が、9月末に閉める予定です。
母と娘さんが繋いできた50年の歴史が、又、一つ消えます。

全て物事には終わりが有ります。地球もそうです。
県民局長時代からお世話になりました。有難うございました。しかし、やはり寂しいですね。

新しい世界でのご活躍をご祈念しています。
「遠くで汽笛を聞きながら」が、90点を超えたことも有りました。
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一人埠頭に立ってから20年ーーーーー。

2025年08月07日

つみびとの歌

早逝の詩人、中原中也

わが生は、下手な植木師らに
あまりに夙く、手を入れられた悲しさよ

開業医の名家の長男として生まれ、幼少期は神童として評価されていた。
下手と言われた植木師さんには悪いが、神童中也の眼には、そう映ったのでしょう。

場違いの姿は気の毒でもあります。
文学の世界に生きた中也には、他の世界は不毛の乱舞に見えたのでしょう。
しかし、それ故に、知らずにかけた迷惑、不思議なものです。

2025年08月06日

妙勝寺

淡路市釜口。
室町幕府初代将軍、足利尊氏ゆかりの寺院。
遠征に向かった尊氏が、海上から寺を見つけお参りすると、妙に勝った故事から。

一枝も折らで愛ずれば美しき 心の華と花や思わん(乱にいて治を忘れず)

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そういえば、六期目の選挙、お参りするのを忘れていました。

2025年08月05日

若者来訪

かつての仲間の孫が来訪してくれました。

澄んだ眸、未来志向の青年でした。

「じいじから、門さんの噂は聞いていましたが、そんな、怖い人には見えませんよね」
と爽やかな笑顔で言われました。

青年は自分の夢を語り、爽やかに去って行きました。
ザイツエン!
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あの時、咲き誇っていた地獄坂の桜は健在か?

2025年08月03日

歴史

旧仁井小学校、現日本語学校「JPGA日本グローバルアカデミー」の庭の一隅に、静かに佇んでいる、
鈴木重胤翁の石碑。江戸時代後期の皇学者として知られています。
諸国を遊歴して神道を説いたが江戸で暗殺されたとされています。
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仁井地域はかつて、交通不便地として知られていましたが、高速道路のバス停が出来、淡路市が県道、市道を整備して今では、大阪に一番近い地域ともいわれています。

歴史は刻まれ、伝えられて、その地域の風土となります。
丁寧な地域づくりが必要とされる所以です。

2025年08月02日

花火

友人が、南紀和歌山串本の花火を贈ってくれました。
流石です。
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夏の風物詩ですが、継続維持するのは大変です。

2025年08月01日

北淡路土地改良区

土地改良法に基づき設立された、農業用施設の整備、農地の区画整理などを行う為の組織。
地域の農業者によって組織され、農業用水路、農道整備、農地区画整理、維持管理等を行う。

北淡路は、国営農地開発事業で、1968年昭和43年11月1日設立。農地面積350ha
組合因数645人、出発は、旧淡路、東浦、北淡町、2005年平成17年淡路市に引き継がれた。

2006年平成18年、国、県の担当者、新阜旧東浦町長等の依頼により、門康彦淡路市長が理事長を引き継いだ。

設立後、57年が経過するなか、施設の再整備、維持管理等が喫緊の課題となっている一方、淡路市の人的支援、予算措置、そして企業誘致参入等の施策により一定の評価に繋がっている。

しかし、長年経過する中で、組合員の意識も変わり、本来の土地改良区の趣旨を失念し、事業継続の意識は希薄となっている。

約半世紀の節目の今、さらなる事業推進を図るべき時と思料されます。