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2025年05月17日
3選挙前夜 帰郷
帰郷
20年ほど前、市長選については、県庁のほとんどが反対でした。
性格が向いてない。議会対応が出来るからと言って、当事者として議員になるのとは違うと同じ事で、県職員として相応の仕事ができるからトップになれるかというとそうではない。
それよりも、大学時代の仲間達の反発がきつかった。「あれほど軽蔑していた政治家にお前は成り下がるのか!」などときつい意見が舞い込んできました。
当然、家族は大反対。
私の後援会長を引き受けていただいた、故三津啓祐氏、津名高校の先輩は私の姉に、「ヤクザな弟を持って大変やな」と言われたそうです。
何れにしても決意表明で述べたように、市長選挙は動き出し、当時は元気であった同級生達と素人選挙に乗り出しました。
その動機の一つは、淡路島一市。
県民局長在職中に知り合った淡路青年会議所=JCとの意見交換で、確認しあい、立場上積極的に公の立場での言動は控えましたが、邪魔はしませんでした。
しかし、「淡路は一つ」というJCの理念は、公開討論会(意見表明)で私が語った事をJCのメンバーですら理解していないことを知り、失望しました。
さて、淡路島の平成の大合併、緑町と洲本市から始まり、三原郡4町、洲本市と津名、五色、一宮、そして北3町等の協議等を経て、3市1町(五色)に決まりかけ、五色町の一人の議員さんが合併を選択、今の3市体制が出来ましたが、立場上、全ての協議会に参加したのは、私一人でした。行政マンとしての責任の取り方を問われました。
そうした経緯もあり、帰郷を決意しました。
20年前の決起集会、津名港の波止場付近で開催されましたが、その時だけ、雨風の嵐、不思議な天気の変化でした。
「嵐を呼ぶ男」と言われ、東京の新聞に紹介されたように、「無名の新人と有名政治家の後継者の選挙」が始まり、結果は私が初代の市長になりました。